インターン生の人事・広報の磯部です。この「Humans of Framgia」というカテゴリーでは、フランジアで働く方々へインタビューをおこなっていきます。

今回は、バングラデシュカントリーマネージャーとして2015年10月に入社された稲田史子さんにインタビューをさせていただきました。

学生時代から国際協力に関心を持ちつつも、新卒で日本銀行に就職、コンサル会社や証券会社に転職をしている稲田さん。しかし「私がいままで通った道は、1つたりとも無駄ではありませんでした」と話します。そんな稲田さんに、バングラデシュでおこなっている事業について、そしてバングラデシュにかける想いについて、アツく語っていただきました。

 

《プロフィール|稲田史子さん》
日本銀行にて会計業務に6年従事。ビジネスコンサルタントに転換し、A.T.カーニー及び楽天証券にて勤務。ロンドン大学院でソーシャルビジネスを学ぶ。バングラデシュに渡り、アライアンス・フォーラム財団の途上国ビジネスコンサルティング事業部を経てオリナスパートナーズを起業、2015年10月よりフランジアに参画、ICTを通じたインパクト創出に取組む。慶応義塾大学商学部卒、London School of Economics にてMSc.地域経済開発学修了

 

20代は金融分野でのビジネス経験を積む

20160329-稲田さん④

━━ まずは、稲田さんの学生時代の活動の頃からさかのぼり、お話を伺っていきたいと思います。稲田さんは「国境なき医師団」の学生ボランディアとして活動されていたとのことですが、そのことについて詳しく教えていただけませんか?

はい。中学生の時に、世界の恵まれていない人たちの動画を授業で見る機会がありました。その頃から、社会的問題に関心を持っていて、大学に入ってからは「国際問題」を扱う団体に関わりたいと考えていました。

そこで見つけたのが、「国境なき医師団」だったんです。

“子ども”をテーマに、問題についてディスカッションをしたりストリートチルドレンのためのシェルターを作るプロジェクト運営をしたりしていました。自分自身も、ベトナムに渡航して活動をおこないました。

その時から、「将来は途上国で貧困削減に携わろう」と思っていたのですが、「NGOでは新卒を採らない」という事実を知ることになります。なぜなら、NGOには新人にリソースを避けるほどのキャパシティを持っている組織が少なく、ほとんどは即戦力を求めているからです。

当時は、自分にプロフェッショナルとしての強みは無かったし、その時の自分ができる貧困へのアプローチがわかりませんでした。

そこで、まずは社会人経験を通して強みを付けたいと思うようになり、元々興味を持っていた金融の分野に進むことを決めて、日本銀行に就職しました。

 

━━ その当時からNGOに関わりたいという想いをお持ちだったのですね。社会人になってからも、ずっと途上国への想いを持ちながら働かれていたのでしょうか?

実は、20代は仕事に夢中で途上国のことは忘れて働いていたんです…。

日本銀行では、社内の会計制度を作ったり、大株主である財務省に渡す資料を作ったり、やりがいを感じながら働いていました。そこでは、仕事をやればやるほどおもしろいと感じていましたし、会計を通してビジネス感覚や財務諸表を読む力は身についたと言えますね。

 

━━ なるほど。その後はどうされたのでしょうか?

日銀で6年働いて思ったことは、大企業で行える範囲はプロジェクトの一部であって、1から10を遂行するビジネス力はつかないということ。そこで、しっかりとしたプロセスを踏んで、自分でビジネスを進める力をつけたい、もっと上流の部分をやりたいと思い、コンサルティング会社に転職しました。

その会社では銀行業のコスト削減、中長期計画などをおこない、その後は楽天証券に転職。民間の企業で働きたかったこと、そして新たな経験をしたいと思っていたからです。マーケティングや広告、カスタマーサポートなど、幅広く経験させてもらいました。クライアント商売ははじめてだったこともあり、目からウロコの日々でしたね。

そして30歳を迎えるあたりで、これからの人生について考え始めました。

 

バングラデシュとの出会い。そして、ビジネスとしての社会貢献分野へ。

稲田さん2

━━ そのとき、どんなことを考え始めたのですか?

「これでいいのか?」

そんな風に立ち返ったんです。

心にぽかーんと穴が空いたような感じがして、「なにかが違う」と自分に問いかけていたんですよね。

でも、それがわからず、半年くらい考えていました。

そこで、ふっと浮かんだのが、大学生の時の国境なき医師団でした。

あの時には、内側からエネルギーが湧いてきて、気づいたら体が動いているわくわく感がありました。それは、これまでの社会人生活では出会わなかった感覚で。

この感覚を思い出した時、「本当にやりたいことは、創っていかなくちゃいけない。自分の行くべき道はこっちだ!」

そう思いました。

まずは、自分英語力の無さと、途上国のことを学問として学んでいなかったことがあったので、イギリス留学を決意。2年間、英語を勉強しながら開発経済学を学びました。

留学時代は、開発に興味を持っている人たちとのネットワークが出来たり、JICAのインターンを通してバングラデシュのマイクロファイナンス機関・BRAC銀行でインターンをおこなったり。とても貴重な経験ができました。

 

━━ 留学後はどうされたのでしょうか?

バングラデシュにあるアライアンス・フォーラム財団という組織で、ビジネスコンサルティング部門に在籍し、日系企業の途上国進出サポートをおこなっていました。

その後、財団の仲間と共に独立して、オリナスパートナーズを起業。そこでも、日系企業の新興国進出サポートをしていました。その会社では、バングラデシュの他にブータンやケニアなどの国にも事務所を構えて事業を回していましたが、バングラデシュの治安が悪くなってお客さんとなる日系企業が来られなくなってしまったんです。

そして、バングラデシュ事務所を閉めることに決め、その後は日本に帰ろうかバングラデシュで働こうか、迷っていました。

そんな時、Wantedlyに登録をしたら、次の日に一件のメッセージが届いていました。

 

IT×教育でバングラデシュの学生に就業機会を!

稲田さん

━━ そのメッセージとは?

それが、フランジアとの出会いだったんです。

ベトナム法人の代表である小林さんから「明日までバングラデシュにいるのですが、会いませんか?」という内容のメッセージが届きました。

小林さん曰く、「農業 テクノロジー バングラデシュ ベトナム」とWantedlyで検索をしたら、私だけが引っかかったみたいなんです。偶然、職探しをしていたのもあり、キーワードもピタッとはまり、すぐに会うことになりました。

オファーされた仕事は「バングラデシュカントリーマネージャー」。ITに関わるのははじめてで、いきなり20人のエンジニアを率いるのは不安でした。正直、オフショア開発には「搾取」のイメージもあって、あまり良い印象を持っていませんでした。

しかし、小林さんと話してみて、その不安は払拭されたんです。エンジニアの待遇を良くしていくこと、技術レベルを上げて、国・社会の発展を想っていること。そんなビジョナリーな企業はなかなか無いと、長年の社会人経験による直感がそう思わせました。

内定はすぐに出たので、フランジアバングラデシュのカントリーマネージャーとして働くことになりました。

 

━━ 1日でもずれていたら、稲田さんはフランジアにいなかったのかもしれないのですね。

そうですね。小林さんとも今でも「あれは奇跡の出会いだった」と振り返っています。

フランジアに入ってからも、入社前に抱いていたイメージも全く変わっていません。

 

━━現在、稲田さんがバングラデシュで行っている事業を教えてください。

ベトナムと同じく、オフショア開発事業をおこなっています。

日本のクライアント企業からいただいた仕事を、ハノイのエンジニアとコラボしながら開発している状況です。

サブビジネスとして、教育ビジネスを立ち上げようと考えています。

私塾のような形で、ITスキル+英語、もしくは日本語を教え、エンジニアとして活躍できる人材を増やしたいです。

対象は国内トップ層と、大学に行けず、職業訓練学校に通っているようなミドル層。彼らにITスキルと語学を学んでもらい、ベトナムで行っているHEDSPI生へのジョブフェアのように、就業機会を提供しようと考えています。

参照|日本で働きたい夢を持つベトナム人学生のために。ハノイ工科大学でVietnam IT Jobfairが開催されました。

ただ、こうした取り組みに関してバングラデシュの政府は非協力的なので、JICAの力を借りて事業を推進したいと、プロジェクトを動かしています。

BD写真3(稲田さん以外、社員はみんなバングラデシュの方々です!)

━━ なぜ教育に注目したのでしょう?

生まれた家がハンデにならないように、誰にでもチャンスが得られる状態にしたいという想いは元々持っていました。

それに加え、フランジアはITや日本語というコンテンツを持っています。ITスキルと言語があれば、付加価値がつきますし、優秀な人材を輩出することによって、人々の生活が豊かになったらいいと思っています。

だから、就業機会を得てもらうことを大切にしていますね。

 

━━ バングラデシュでは、日本で働きたいと思っている人は多いのでしょうか?英語を話す人材を増やす方が、彼らの可能性を広げるという点においてより良いと思うのですが…。

確かに、そうだと思いますし、欧米に行きたがる人は多いように感じます。

けれど、職業訓練学校に通うようなミドル層の人たちは、そこまで英語を話すわけではありません。その状態だと、日本語を勉強しても英語を勉強しても同じくらいの時間がかかります。

それだったら、日系企業に就職する機会を提供するという意味での日本語教育もいいかなと思っています。が、依然として英語にするか、日本語にするかは調査中です。

 

バングラデシュは、人生の幸せを思い起こさせてくれた場所

BD写真2

━━ フランジアに入社してから、組織の課題を感じることはありますか?

グループ内での情報共有という点では、課題を感じることがあります。今後、バングラデシュ側からも改善案を出していければと思っています。

フランジアは、ボードメンバーである4名の強みがそれぞれ違いますし、もっともっと成長していく会社です。直接会った時には、なんでも言える風通しの良さもあります。

ただ、私はフランジアに出会えてラッキーだったと思っています。

 

━━ フランジアバングラデシュが目指す先を教えてください。

定量的には社員を100名に増やすこと、定性的にはバングラデシュだけでまわせる案件を少しずつ増やして、社員に自主性を持ってもらうことです。

現在は、ベトナムのチームと一緒に仕事をしているのですが、独立してできる状態にできたらみんなが自分たちの仕事に誇りをもって働けるんじゃないかなと。

フランジア自体のクライアントは日系企業がメインですが、バングラデシュでは欧米の案件も取って、開発業務を回せるようにできたらと思っています。

そして、「バングラデシュでのIT企業といえばフランジアだよね」というような純粋想起が起こるような状態を目指したいです。

いまのフランジアベトナムはそういう状態まで来ていると思うので、バングラデシュでもそこまでいけるよう、スピード感をもってやりたいと思っています。

 

━━ さいごの質問です。稲田さんにとって、バングラデシュとはどんな存在でしょうか?

「人生の幸せの原点」を思い起こさせてくれた場所です。

ものではない、精神的な豊かさを大事にする人が多く、家族や親戚と頻繁に会うことが彼らのエネルギーになっているのです。そうやって、大事な人の存在を感じながら生きているので、自分が幸せであると口に出して言える精神状態なんです。

バングラデシュでは、家族のように私を迎えてくれるし、たくさんの友だちもできました。

そんな彼らの幸せの輪に入ることで、日本では忘れていた大切なことを思い出せてくれました。

それが、私にとってのバングラデシュです。

 

【取材後記】
バングラデシュへの愛を、アツい口調で話してくださった稲田さん。いわゆる「エリートコース」を歩いてきた彼女を突き動かすのは、大学生のときの国境なき医師団での原体験だったといいます。
いま、ぼくは21歳でベトナムに来て、現地の方々と一緒に働かせていただいたり、日本人の社員の方々からたくさんのことを教えていただいています。いつか、「あの時の体験がいまに活きているな」と思えるような経験ができたらと思っています。

 

 

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